謎のコールサインの出現
大本営陸軍部米国班参謀などを歴任した
堀栄三氏の『大本営参謀の情報戦記』によると、
大型の爆撃機であるB29の情報把握に務めていた
陸軍中央特種情報部（特情部）は昭和20年（1945）5月
中旬から太平洋に現れたコールサイン（無線通信などの
発信元を識別する呼出符合）V600番台のB29を追っていた
という
『原爆投下』にはNHK広島放送局に残されていた
堀栄三氏のインタビューが収録されている
「ところが五月、ひとつ大事なことを特種情報部が発見
したんです。
いままでの400番台、500番台、700番台というところへ
600番台という番号が出てきた。コールサインで。
そこで、なんでこんな飛行機が出てきたんだと、
非常に不思議な気持ちだったわけです」
「この600番台の戦隊かなんか知らんが、不思議なことに
十二から十三機しかないんですね。非常に小さいんです。
ほかのはだいたい百機以上あるんです、ひとつの戦隊
というのは。ところが、これは十二から十三機しかない。
そこで私たちはおかしいと」
日本を空襲する部隊としては数が少なすぎる
正体不明機と判断されたそれは何かしらの訓練を開始
している様子であった
当初はマリアナ諸島で訓練しているようであったが、
7月頃になると硫黄島まで近づいてくるようになった
これはいよいよおかしいと感じた特情部は昼夜兼行で
この飛行機を追い、7月下旬にはこれは何か特別な任務を
帯びた部隊に違いないと確信したようである
特情部は正体不明機を特殊任務機へと切り替えた
アメリカ軍の兵士から見てもこの日本軍が正体不明とする
爆撃機は実に妙なところがあった
尾部銃座（機体の後方に設置される銃砲）があるだけで
ほとんど武装していない
爆弾を吊るす懸吊(けんちょう)装置の改良（形状が違う
爆弾にも対応できる）
爆弾倉も空気圧で作動し、あっという間に開閉すると
いうものであった
来襲を告げる無線
昭和20年8月6日午前3時頃、このV600番台の
コールサインでごく短い電波がワシントンに飛んだ
その内容は不明
コールサインからは2、3機の編隊と判断された
午前4時過ぎ、このB29が硫黄島基地に
無線電話を発信した
暗号化されていない無線電話はその内容が聞き取る
ことができた
英語が堪能な二世を動員して特情部が傍受した無線電話は
こう告げた
「我ら目標に進行中」
特殊任務機はついに動き出し、
その任務を遂行せんと日本へ向かって来ると判明したのである
暗号を読み解け
『原爆投下』によると日本の軍隊はアメリカの暗号をあまり
解読できなかったと考えられがちであるが、開戦当初は
日本もアメリカの暗号を解読していたという
しかしアメリカはこの戦争が情報戦になると考えて
暗号技術を飛躍的に進歩させていた
その中で日本は、暗号の中身がわからなくても
敵の戦略意図を予測できる手法を開発した
通信を傍受したら、その方角を二カ所以上の受信所から
測定して発信源を特定
通信の長さ、回数などの通信状況からアメリカ軍が何らかの
作戦を行う場合にどう変化するのかを追い、データを
積み重ねて、その後にアメリカ軍がどう行動するのかを
予測した
特情部はB29のコールサインを分析して、どの島の基地から
何機が出撃したのか推測できるようになっていた
日本を爆撃するB29が発信する電波に
一定の符合があったのである
B29が基地とやり取りをする時、
二桁の数字＋アルファベットのV＋三桁の数字であった
そしてそのコールサインは基地ごとに法則があり、
Vに続く三桁の百の位が基地ごとに決まった数字だった
V400番台はサイパン、V500番台はグアム、
V700番台はテニアンだった
ここにV600番台という聞いたことないコールサインが登場する
このV600番台こそは広島市に原爆を投下するという
特殊な任務を帯びたB29のコールサインであった
先述した懸吊装置の改良は形状が違う広島型と
長崎型の原爆にも対応できたのである
B29の出現
B29は爆弾搭載量約9トン、上昇限度が1万2500ｍ以上
でも飛行可能で爆弾7トンを搭載しても6000㎞強の
航続力を持っていた
昭和19年（1944）6月15日に北九州の八幡製鉄所を
爆撃するため中国（この当時は中華民国といった）は
四川省成都の飛行場をB29が飛び立った
昭和18年（1943）6月にB29が配備され、
8月には日本への空襲に使用すると決定された
アメリカは当初は長沙に基地をと考えたが（長沙は
日本の占領下ではなかった）、長沙周辺には日本軍が
いて安全ではなかったため、奥地の成都に基地を構えた
成都は日本軍の攻撃を受ける心配はなかったが、
成都からだと北九州辺りが限度であった（成都から東京まで
が約3300㎞）
また機体や燃料はインドを経由して運ばねばならないために
効率が悪かった
日本軍の南方諸国での壊滅
そこでアメリカが目を付けたのがマリアナ諸島サイパン
であった
マリアナ諸島のサイパンやテニアンなどは当時、
第一次世界大戦で敗れたドイツに代わり日本が
委任統治領としていた
昭和19年（1944）アメリカ軍はサイパン上陸に先立ち、
6月11日から空襲と艦砲射撃で主な陣地と飛行場を
破壊していた
13日からの砲艦射撃は翌14日まで終日続いた
そして15日アメリカ軍はサイパン島に上陸した
豊田副武連合艦隊司令長官は東郷平八郎よろしく
「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ」と鼓舞して日本軍は果敢に
戦ったが、7月初め頃までには壊滅状態となり、
7日には生き残った将兵による「バンザイ突撃」と言われる
最後の総攻撃が敢行された
7日、中部太平洋方面艦隊司令長官・南雲忠一中将は
こう訓示した
「今や止まるも死、進むも死、生死須(すべか)らくその時を
得て、帝国男子の真骨頂あり。今米軍に一撃を加え、
太平洋の防波堤として、サイパン島に骨を埋めんとす」
突撃の出発地点であるマタンシャには3000人の
日本軍（青年団など軍人以外もいた）が集結していた
ガラパンの街を目がけた日本軍兵士はもう誰も身を
伏せる者はなく、撃ってくれと言わんばかりに
「ワアー、ワアー」と喚声を上げながら突進した
突撃する日本軍に対しアメリカ軍は集中攻撃を加えた
日本軍は次々と倒されたがひるまず突進し、
アメリカ軍は白兵戦を余儀なくされた
エドガー・マッカーシー少佐は「日本兵は次々と突撃
してきて立ち止まる事はなかった」と語っている
バンザイ・クリフに建つ忠魂碑
その中で日本軍はアメリカ軍の2個大隊を全滅させる
などしたが、その兵力はわずかなものにまでなっていた
8日になるとアメリカ軍は掃討作戦を開始し、
洞窟などに潜んで抵抗を行う日本軍に火炎放射器
などで殲滅をはかった
9日には日本軍や邦人が島の北端であるマッピ岬まで
追いつめられ、今も「バンザイ・クリフ」と呼ばれる
断崖絶壁に身を投げた
アメリカ軍の従軍記者であるロバート・シャーロッドは
自身で目撃し、あるいは他の記者が目撃したこととして、
「父親たちが子供を崖から投げ落とした」「ある一家は身を
寄せ合い、手榴弾のピンを抜いて自滅した」など惨劇の
一端を伝えている
松本第50連隊の最期
アメリカ軍は7月24日サイパン島から南へ
約5㎞のテニアン島へ上陸、8月3日に島を占領した
そのためテニアン島は日本本土の空襲を行うための
基地となってしまった
そして広島市と長崎市へ原爆を投下させるためのB29は、
このテニアン島から飛び立っていった
テニアン島から広島市までは約2700㎞で、
広島市はその射程圏内に入ってしまったのである
大正9年、松本城広場での高射砲実演の様子
ちなみに長野県の松本歩兵第50連隊は8月2日にまさに
雷のごとく最後の突撃を敢行し、テニアン島において玉砕した
上陸してきたアメリカ軍に対しての50連隊の応戦ぶりは当時
発表された戦闘詳報によると次の通りであった
「敵は多数の艦艇掩護（援護）のもと、テニアン港正面に
四十隻、西北岸に百四十余隻の上陸用舟艇をもって、
いっせいに強行上陸の態勢に入った。
わが部隊はただちに応戦、テニアン港では艦船一、
駆逐艦二を炎上、巡洋艦一を撃破するとともに上陸用舟艇
多数を撃沈破して完全にこれを制圧。
西北岸でも再度にわたって来攻部隊を撃退したが、
敵は猛烈な砲爆撃とともに海岸線一帯にわたって煙幕を張り、
この助けを借りて遂に正午ごろ、一部の上陸を許すに至る」
昭和16年の松本第50連隊第5中隊出征の記念撮影
50連隊は猛烈な砲爆撃の後に上陸してきたアメリカ軍を
水際で撃退させていた
しかしアメリカ軍の西北岸への上陸は陽動作戦であり、
目標は7㎞北の海岸であった
31日テニアン島から東京の大本営に入った無電は
今生の別れを告げていた
「将兵の勇戦にも拘らず遂にテニアン守備の重任を
果たし得ず光輝ある軍旗と共に最期を飾らんとす」
8月2日朝、カロリナス高地に軍旗は焼かれ
50連隊は最後の突撃を敢行した
松本歩兵第50連隊は健脚部隊として鳴らし、
山岳連隊との異名をとった
それは50連隊がアルプスの麓である松本市にあり、
50連隊が登山を実施していたからであった
連隊側は登山とはいえ遊びではないとして、
「アルプス強行軍」と銘打って精神訓練を目的とした
ものだとしていた
昭和10年、乗鞍岳山頂からご来光を臨む50連隊
アルプス登山は松本50連隊の専売特許であった
武装して槍ヶ岳や乗鞍岳を登攀(とうはん)するのである
サイパンでは「太平洋の防波堤として」
将兵はその骨を埋めた
北方での戦闘を想定して訓練を積み、
アルプス登山を得意とした山岳連隊は南の島において
「防波堤」の役割を担ったのである
明治41年（1908）に松本に根を張り、
山岳連隊とその名を轟かせ、
長野県の郷土部隊と親しまれた歴戦の連隊は、
ここテニアン島の露と消えた
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