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三島由紀夫は昭和42年（1967）頃にある青年たちに

 

真剣な顔をしてこう言ったという

 

 

「『英霊の聲』を書いてから、俺には磯部一等主計の

 

霊が乗り移ったみたいな気がするんだ」

 

 

 

 

 

 

『英霊の聲』は三島が昭和41年（1966）に2.26事件の

 

首謀者の一人である磯部浅一の獄中日記などに影響を

 

受けて発表した短編小説である

 

 

2.26事件で銃殺刑となった青年将校と特攻隊員の霊魂が

 

霊媒師の青年に次々と憑依し、その霊魂たちは天皇に殉じた

 

にも関わらず人間宣言をした天皇に、神であらせられる天皇が

 

なぜその神格を否定したのかと悲しみ憤って呪詛をするという

 

物語である

 

 

 

磯部と三島の精神が合致する

 

 

三島はその著書『二・二六事件と私』の中で

 

 

「二・二六事件の挫折によって、何か偉大な神が死んだ」

 

 

「永く私を支配してきた真のヒーローたちの霊を慰め、

 

その汚辱を雪ぎ、その復権を試みようといふ思ひ」

 

 

と『英霊の聲』を書いたいきさつを綴っている

 

 

 

 

 

 

三島はまた同書で

 

 

「どうしても引っかかるのは、『象徴』として天皇を規定した

 

新憲法よりも、天皇御自身の、この『人間宣言』であり、

 

この疑問はおのづから、二・二六事件まで、一すぢの影を

 

投げ、影を辿って『英霊の聲』を書かずにはゐられない

 

地点へ、私を追ひ込んだ」

 

 

とも書いている

 

 

 

 

 

 

人間宣言は戦後に昭和天皇が発した自らの神格を否定した

 

もので、三島はこのことが心に引っかかっていたようである

 

 

昭和天皇は2.26事件の当初から青年将校たちを賊軍と呼び、

 

青年将校たちが天皇の子として自らの罪を死をもって償う

 

ために自決を決意し、その時に勅使（天皇の使者）を派遣して

 

欲しいと侍従を通じて申し入れたが、昭和天皇は

 

「自殺するならば勝手に為すべく、この如き者に勅使など

 

もっての外なり」と不満を露にして人間的、個人的な感情を

 

むきだしてしまった

 

 

 

これに三島は

 

「日本の天皇の姿ではありません。悲しいことです」

 

と言っている

 

 

2.26事件で青年将校たちは「天皇陛下万歳」を叫んで死んで

 

いったが、青年将校たちが天皇のこの言葉を知っていたとして

 

もこう叫んで死んでいっただろうかという問いに三島は、

 

 

「あの人たちはきっと臣道を踏まえて神と信ずる天皇の万歳を

 

唱えたと信じます。でも日本の悲劇ですね」

 

 

と涙ながらに語ったという

 

 

 

磯部の激怒

 

 

磯部浅一は獄中で『獄中日記』『行動記』などを書き記した

 

三島は『獄中日記』を高く評価していたようで、

 

『英霊の聲』には『獄中日記』からの記述を抜粋した部分

 

がある

 

 

磯部が書き記した手記には昭和維新の正当性や自分を理解

 

しようとしない軍部や世の中というものに対する批判が

 

見られ、特に『獄中日記』は昭和天皇に対する激しい言葉が

 

並べられている

 

 

 

 

 

 

磯部は昭和天皇が側近に「日本もロシアの様になりましたね」

 

と言ったとする新聞記事を読んで、次のように激しく書き

 

連ねてその怒りを露にした

 

 

 

「今の私は怒髪天をつくの怒りにもえています、

 

私は今は陛下をお叱り申上げるところに迄精神が高まり

 

ました、だから毎日朝から晩迄陛下をお叱り申しております」

 

 

「天皇陛下、何と云ふ御失政でありますか、何と云ふザマ

 

です、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」

 

 

 

『獄中手記』には

 

 

「陛下が私共の挙を御きき遊ばして、『日本もロシアの様に

 

なりましたね』と云うことを側近に云われたとのことを耳に

 

して、私は数日間狂いました。（中略）何でもウワサに

 

よると、青年将校の思想行動が、ロシア革命当時の

 

それであると云う意味らしいとのことをソク聞（仄聞・

 

そくぶん・人づてや噂で聞く）した時には、神も仏もない

 

ものかと思い、神仏を恨みました」

 

 

とも綴っている

 

 

 

 

 

 

『獄中日記』には

 

 

「日本の神様はどれもこれも皆ねむっておられるのですか、

 

この日本の大事をよそにしているほどのなまけものなら

 

日本の神様ではない」

 

 

「ソンナ下らぬナマケ神とは縁を切る、

 

そんな下らぬ神ならば日本の天地から追いはらって

 

しまうのだ」

 

 

と書かれていて、磯部の無念さが見て取れる

 

 

 

ロシア革命は大正7年（1917）に起こり、

 

軍が反乱に加わりロシア帝国の皇帝であるニコライ2世と

 

その一族を虐殺したという事件である

 

 

昭和天皇の言葉は皇室がロシアの王室のようになってしまう

 

ことを憂いたものだとされている

 

 

 

悪鬼となった磯部

 

 

磯部は日本というのは天皇を中心とした近代的民主国家

 

であったが、今の日本は重臣と財閥の独裁国家になったと

 

考えて決起に走ったのであるが、自分の大義を反逆として

 

捉えて理解しようとしなかった昭和天皇に強い憤りを覚えて

 

御叱り申上げていたのである

 

 

天皇は周りに毒されてしまっていると考えて

 

「明治陛下も皇大神宮様も何をしておられるのでありますか、

 

天皇陛下をなぜ御助けなさらぬのですか」とも綴っている

 

 

磯部としては2.26の決起は天皇陛下の名のもとに世直しを

 

しようと行ったもので、それはクーデターではなく正義の行動

 

と信じていた

 

しかし天皇からはその行為を否定され、

 

賊軍として鎮圧されてしまった

 

 

 

 

 

 

多くの青年将校たちは失意の中で銃殺刑に処されていったが、

 

磯部だけは

 

「死にたくない、仇を討ちたい、全幕僚を虐殺して

 

復讐したい」

 

「悪鬼となりて所信を貫徹するのだ」

 

と呪いの言葉を吐いたという

 

 

そして刑を受けた青年将校たちはみな「天皇陛下万歳」を

 

唱えて死んでいったが、磯部のみは言わなかった

 

それは決して不敬だったからというわけではなく、

 

自分の正義や大義の理解が得られずに裏切られたという

 

気持ちが強かったものであろう

 

 

三島は昭和天皇の人間宣言に対して心の中に

 

モヤモヤするものを感じていた

 

そんな三島の心の隙に、同じく昭和天皇に失望すら

 

感じた磯部浅一は入り込んで来たのである

 

 

 

 

 

 

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